モーニングコートの話
3月に入り、学校では卒業シーズン真っ只中で、学校長はモーニングコートを着用することが多いだろう。
礼装としてのモーニングは英語ではMorning dress(モーニングドレス)と呼ぶ。
「コート」は日本では外套(オーバーコート)というイメージが強いが、英語ではジャケットなども含めた上着のこともコートと呼ぶため、「モーニングコート」は「モーニングドレスの上着」を指す単語である。
おそらく明治・大正期の日本人が、下のような欧米の紳士服店のカタログなどのイラストの下に’Morning coat’と書いてあるのを見て、そのスタイルそのものを「モーニングコート」と呼ぶものと思ったために、このようなことになったものと考えられる。
今日、日本では「モーニングコート」「モーニング」という呼び方が広まっているが、グローバル化が進む現代、原語を尊重して「モーニングドレス」と表記したい。なお、上着のみを指す場合はモーニングコートと呼ぶ。
なお、英単語のMorningは「朝」と訳されるが、実際には日が昇ってからお昼頃までを指し、モーニングドレスは日中の正礼装(最もフォーマルな礼装)であるため、日が沈んでからは着ないということは言うまでもない。
コート(上着)
現代のモーニングコートは19世紀中頃から後半にかけて確立されたとされ、上の画像のような18世紀のフロックコート(乗馬服)が由来しており、丸くカットされた前裾、フックベントは当時の形を残している。
現代では1つボタンが多いが、19世紀にはボタンが2つ、3つ、もしくはそれ以上ある場合も多かった。
また、かつてはポケット付きのものもあったが今では稀である。
ラペル(襟)はピークドラペル(英国ではポインティドラペルとも)が一般的だが、ノッチドラペル(英国ではステップラペル)でも全く問題ない。
下の画像のように、ボタンが表裏に2つ付いた特殊な構造になっている場合があり、「慶事の時は裏のボタンを留め、弔事の時は表のボタンを留める」と言われることもあるが、実際にはそのような明確な決まりはないとされる。
ボタンは必ずしも留める必要はなく、開け放したままでも構わない。
上のチャールズ皇太子のように、ウエストコート(ベスト)に懐中時計の鎖を着けるという着こなしはクラシカルに映える。
上の画像の左のモーニングコートは英国の人気ドラマであるDownton Abbey(ダウントン・アビー)の執事の衣装で、ボタンが4つと多く、ポケット付きというのは19世紀のスタイルである。
また、英国王室の式典や女王が主催する競馬であるロイヤルアスコットなどでは、グレーの3ピースのモーニングドレスも着用されることもあり、Morning grey dressなどと呼ばれる。
ウエストコート(ベスト)
黒やグレーが一般的だが、最近では下の画像のように水色系、黄色系などといった色物も多い。
黒のウェストコートには慶事では白襟(英語ではSlipと呼ぶ)という和服でいう半衿のようなものを装着するべきとされるが、つけなくても特に非礼というわけではない。弔事では取り外すのが無難。また、チャールズ皇太子は2005年の結婚式でグレーのウェストコートにも白襟をつけている。ボタン数は大抵は5、6個程度で、それ以下はあまり一般的ではない。
トラウザーズ(ズボン)
黒のコートには、フォーマルトラウザーズ、すなわち日本で「コールズボン」「コールパンツ」などと呼ばれる縞の入ったグレーのトラウザーズが一般的である。
「コール」は織り方の一種である「コーデュロイ」が訛ったものと言われ、英語ではない。
英語ではFormal trousersというなんとも漠然とした呼称以外にも他の名前がいくつかあるが、ここでは省略する。
ただやはり「ズボン」というとあまりにもダサいし、かといってアメリカ風に「パンツ」と呼ぶと英国人や日本人は下着を連想するかもしれない。そもそもこの服装自体が英国生まれなのだから、やはり英国式に「トラウザーズ」と呼びたい。
さて、例のように前置きが長くなってしまったが、下の布地の画像は一例で、非常に様々な縞の柄がある。
「慶事には明るめのもの」「弔事には暗めのもの」などと言われることもあるが、実際にはそのような厳密な決まりはないとされる。
縞と比べるとあまり一般的とは言えないものの、チェック柄やハウンズトゥース(‘猟犬の歯’の意味で、千鳥格子のこと)などの柄が入ったグレーのものや、無地のグレーのトラウザーズが合わせられることもしばしばある。
グレーのモーニングドレスの場合は、トラウザーズもコートやウエストコートと共地。
ベルトは略式なので、ズボン吊り(ブレイスィズ、サスペンダーズ)を用いる。
グレーだけではなく時折、3ピース全てが共地の黒やネイビーのものもロイヤルアスコットや王室の結婚式などで着用されているが、やはり縞が最も一般的かつ伝統的であろう。
シャツ
日本では、未だに19世紀のウィングカラーが根強く残っているものの、それは立襟、すなわち喉元まであるハイカラー(その襟先を折り返したものがウィングカラー)が日常着だった頃の話で、WW2後は欧米ではターンダウンカラー(いわゆるレギュラーカラー)が一般的。
19世紀のようなカラーやカフスが取り外し式である必要はないが、英国の紳士服デザイナーであるハーディ・エイミス氏は、シャツの地を色物にすると、白いカラーが映えると著書で述べており、実際、王室やロイヤルアスコットでは色地(特に水色が多い)のシャツに白いカラーが多く見られるので、カラーやカフスが縫い付けられているシャツでも、カラーとカフスが白で身頃が別の色のものは映えるだろう。
カフスは本来、折り返さないシングルカフス(本カフス)が正式だが、最近ではダブルカフスも可能で、むしろこちらのほうが正式と信じている人も多い(本来ならばシングルカフスよりもフォーマル度が劣るため、ホワイトタイすなわち燕尾服には向かない)。
普通のボタン付きカフスでも特に非礼とはされないが、カフリンクス(カフスボタンはジャケットの袖ボタンを指す英単語。カフスはシャツの袖本体を指す)を付けるのが一般的。
ボウタイの時は前ボタンが見えない比翼仕立てがスマートだが、ボタンが見えても特に非礼とはされない。
タイ
シャツのカラーが立って喉元まであった時代にはアスコットタイもあったが、カラーが寝ている場合はレギュラータイが一般的。19世紀後半から20世紀初頭の紳士服カタログや写真にはボウタイをつけている例もあり、ウィンストン・チャーチル氏はいつもの水玉のボウタイをつけていることが多い。カラーが立っている場合は、タイが上がって抜けないように、カラーの後ろに付けられたループに通す。
日本では無地のシルバーやレジメンタル(縞)が一般的だが、本来はタイの色や柄に指定はなく、せいぜいシルバーや黒がフォーマルとされるものの、今日の英国では普段のスーツと同じように色物や柄物も合わせられる。
靴
19世紀にはブーツが当たり前とされたが、今はストレートチップのオックスフォードシューズ(内羽根式)が一般的。外羽根式はフォーマル度が劣る。
著者は、天候次第でチェルシーブーツ(サイドゴアブーツ)などでも構わないと考えている。
また「スパッツ」という靴カバーはもはやWW1前を舞台とした歴史ドラマなどでしか見られず、辛うじて機関車トーマスのトップハムハット卿の足元に確認できる。
ポケットスクウェア
ポケットチーフは和製英語。日本では白のスリーピークスが良いとされるが、今日の英国では色物や柄物も普通に使われ、折り方もバリエーションに富む。英国の紳士服デザイナーであるハーディ・エイミス氏は著書で「燕尾服に白のポケットスクエアは人生に白旗を挙げるようなもの」などと述べているものの、モーニングについてはこの限りではないだろう。絹やリネン製が一般的。
挿さなくても非礼とはされないが、あったほうが礼装感も出るし、見た目も良いので、用意したい。
手袋
日本では白の手袋が一般的だが、本来それは夜会服のものである。フリーメイソンが白手袋を着用している写真は見たことがあるが、下手すると食卓に食器を並べる執事のように見えてしまう。ミッキーマウスの手袋のような、手の甲に黒の3本線が入った白手袋は古写真の中でも見られる。もともとモーニングドレス専用の手袋の色があったというより、時代時代に主流だった手袋の色が合わせられていたらしく、今日では1920年代に主流だったグレーや、1930年代に主流だった薄黄色の鹿などの革手袋が一般的。特にグレーは王道とされ、日本の皇室でもグレーを採用している。また、葬式などでは黒が普通だが、日本の皇室ではこの場合もグレーを着用している。
そもそもこれらの手袋は、かつて紳士が普段から帽子やステッキとともに手袋を身につけていた頃の名残だが、今では主に手に持つだけのアイテムとされるし、ロイヤルアスコット(エリザベス女王主催の競馬)のモーニングドレス着用が指定されている席でも手袋やステッキは求められない(後述のトップハットは必須)ため、今は用意しなくても良いのかもしれない。
重ねて言うが、本来、白は夜会服用であるので、正しいフォーマルウェアを求める向きや貸衣装に抵抗がある人、こなれ感を出したい人には、グレーや薄黄色をおすすめする。
帽子
トップハット一択。古写真ではボウラーハット(山高帽)などを合わせているものもあるが、正式ではない。
絹(シルク)で出来たものを特にシルクハットという。
色は黒やグレーが一般的。
19世紀初め頃はビーバーの毛で作られていたが、帽子の過剰生産の影響でビーバーが絶滅しかけてからは素材がシルクに切り替わり、最近は兎の毛が多い。
ロイヤルアスコットでは黒のコートに黒だけでなくグレーのものを被るスタイルや、グレーのモーニングスーツにグレーまたは黒のトップハットという組み合わせも見られる。日本で貸しモーニングを利用する学校長や新郎の父親は主に室内で過ごすので、普通はセットについてこないが、屋外で被ると正装の感じが増す。
ステッキ (または傘)
もはや死んだも同然。イギリスでは細く巻いた黒の傘が辛うじて生き残っている程度である。
時計
この服装自体が腕時計が誕生するWW1より前に確立したものなので、時計といえば鎖付きの懐中時計をウエストコートにつけるのが妥当だが、今日では腕時計をするのも一般的になっている。実用のために腕時計、装飾のために懐中時計、と併用する場合もある。
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